2014年1月19日日曜日
お風呂道具
お風呂の椅子と桶は、長い間拭き漆の木製のものを使ってきました。
いつ頃からか、猫のトラが毎日お風呂で水が飲みたいと要求するようになり、水を入れたまま置きっぱなしにしたのが悪かったのか、桶が水漏れするようになりました。
さて、どうしようか。
同じものはもう手に入りません。
そう高いものではありませんでしたが、誰かに頼んで漆を塗り直してもらうとなると、買った値段より高くつくかもしれません。
木の道具は悪くないのですが、正直手入れが面倒な気持ちもあります。この桶と椅子も、最初の何年かは、毎日きれいに洗って拭いて、高いところに棚をつくって干していましたが、だんだん手を抜くようになりました。今では、せいぜい椅子を斜めに立てかけて置いて水を切るくらいで、手入れが全然行き届いていません。
この色では、手入れを怠っても、どれくらい汚れているのかはっきりしないのですが、水のしみ込む白木の道具では、すぐ黒ずんでしまうに違いありません。
しばらく迷っていましたが、結局、易きに流れて、汚れの目立つ薄い色のプラスティック製の椅子と桶を買ってしまいました。
ところが、トラのなじんだ木の桶も捨てがたいだけでなく、木の椅子の方が、腰掛けたときにお尻が冷たくないことに気がつきました。
というわけで、古いお風呂道具もすぐには捨てられず、ただでさえ狭いお風呂場は、ごちゃごちゃになっています。
2014年1月18日土曜日
東京の金花糖
暮れの東京新聞に、「幻の金花糖復活」という記事が載っていました。
八年ほど前、都内で最後まで金花糖をつくっていた墨田区の「奈良屋」が工場の建て替えを機に、金花糖の生産をやめることになり、取引のあったよしみで、入谷の菓子問屋「萬年堂」の三代目の鈴木真善さんが、奈良屋から二百七十個もの木型や、銅鍋などの製造道具を譲り受けました。
その時、鈴木さんは「もらえるものはもらっておこう」という軽い気持ちだったとか、自分でお菓子をつくろうなどとは、思いもしなかったそうです。
ところが鈴木さんは、それから後継者不足などで菓子工場が次々と廃業していくのを見てきました。おきな飴、棒つきべっ甲飴、あんこ玉など、江戸のお菓子が消えてゆくのを目の当たりにして、少しずつ気持ちが固まってきました。
そして、道具もあるし、自分の力で伝統菓子をつくって次の世代につなげられたらと、2012年11月に倉庫を工房に改造して、まだ金花糖の生産が続いている石川県にの修行に行き、技術を身につけてきました。
そんな、「萬年堂」の金花糖を買おうと、暮れのうちに注文しておいたものが届きました。
小さいものばかりですが、とっても素敵です。 大きいものはつくるのも大変なのか、お値段が張ります。
中鯛、小鯛と、かご鯛です。
残念、小鯛は取り出すとき尻尾が折れてしまいました。
全部とっておくつもりでしたが、割れた小鯛を仕方なく(?)食べてみました。
金花糖は砂糖と水だけでできています。いわば砂糖の塊ですからとっても甘い、口の中でしゃりしゃりと溶けていきます。
そう言えば子どもの頃、安芸の宮島のお土産と言えば、原寸大の杓文字の形の金花糖でした。住んでいたのが倉敷でしたから、宮島はそう遠くなくて、近所の人がよく遊びに行きます。そして、お土産に、決まって金花糖の杓文字をくれるのです。一本だけでなく、三本セットのもありました。
「またか」
という感じで、桃色、薄荷色、白などの金花糖を、ありがたがりもせず食べていました。とくに薄荷色の金花糖は薄荷味で、子どもには強烈、そう好きではありませんでした。
さて、萬年堂の犬張り子犬は、笊を被らず、手つきの籠に入っています。
立ちますが、ちょっと安定感が悪いので、
籠に入れておくと安心というわけでしょうか。
松竹梅。
招き猫は、いろいろ種類があるようですが、これは「にこにこ招き猫の小」と、ちび招き猫です。
ちびの方はしっかり立ちますが、にこにこは立つけれど前のめりです。
今戸焼きに通じるものがあるのかないのか、なかなか可愛い招き猫です。
一年前の、金沢の金花糖と比べてみました。
東京の招き猫はのびのびと華やかですがもろく、九谷焼と同じ形の金沢の猫は、がっちりしています。
金沢の金花糖は、一年経って透明感が薄れ、彩色も少し褪せてしまいましたが、十分とっておけることがわかりました。
ついでに、鯛も比べてみました。
鯛車とかご鯛ですが。古い写真と比べると、鯛車も招き猫も、緑色はすっかり飛んでしまっています。
その昔、結婚式で配られる折り箱は二段から三段重ねになっていて、 一折りは練り切りでした。
伊勢海老、鯛、松竹梅などの他には何が入っていたでしょうか?金花糖と違って練り切りはとっておけないので、その時ばかりは豪勢に、お腹いっぱい練り切りをいただいたものでした。今頃、虫歯がいっぱいあるのもうなずける、子どもの頃の生活でした。
2014年1月17日金曜日
ショコラーシカ
暮れに注文しておいた、季節限定のメリーチョコレートの、ショコラーシカが届きました。
前の年のショコラーシカとそっくりだけど、今年もかわいい雰囲気です。
不二屋のペコちゃんのマトリョーシカは、はっきり言って中身が楽しめませんでした。
それでも、マトリョーシカ缶は可愛かったから、続けて欲しかったけれど、缶だけで勝負するのでは、続けるのが難しかったのでしょうか?
缶は不二屋とメリーチョコレート、まったく同じ大きさです。
今年は早めに注文したので、ショコラーシカ以外の、それぞれロシア名のついているチョコレートも買うことができました。
これは、マトリョーシカ型ですが紙箱です。
上はチョコレート五個入り、顔が動物になっている、のは三個入りです。
紙箱には、ショコラーシカより、バラエティーに富んだチョコレートが入っています。
ただ、紙箱をとっておく人は少ないのかもしれないけれど、箱を留めてあったテープをはがすと、気をつけてはがしても、紙の表面もはがれてしまうのが、惜しいところです。
2014年1月16日木曜日
ココヤシの匙
プーケットの荒物屋さんで買った、柄杓と匙です。
柄杓の水をすくう部分はココヤシの殻でできていて、匙はココヤシの木でできています。
数あるヤシの中でも、ココヤシほど利用価値の多いものは、他に類を見ません。
甘いココナッツジュースは、喉をうるおしてくれ、殻の周りにつく胚乳はそのまま食べてもおいしいし、削って絞れば、料理やお菓子に使うココナッツミルクができます。
風味のあるココヤシ油が採れ、樹液で砂糖がつくれ、葉はいろいろな細工ものに使え、葉柄で籠が編め、最後に木を切り倒すと、家を建てる材木にもなります。
しかも海岸であろうが、ちょっと乾燥したところであろうが、植える土地も選びません。
木は削ると、木目が面白く出ます。
固い殻は天然の容器として、熱帯だけでなく、実が流れ着いた日本でも、古く縄文の時代は使われたようです。
この柄杓は、柄を二ヶ所留めることでココヤシの殻と柄の関係を安定させています。
外側から見ると、柄がつきぬけているのが見えます。
以前、バンコクのクロントイ市場で買った柄杓も、見事な留め方をしています。ちょっと細くした柄の先を殻に通して、固定と補強を兼ねた板を一枚噛ませ、くさびで留めてあります。
接着剤は使っていないので水が多少は漏るかもしれませんが、柄杓が深いので使うのに問題ありません。
この穴杓子は、柄を釘で留めてあります。一番簡単そうですが、殻を割らないように、気をつけなくてはならず、叩いて締めるというのは案外難しいかもしれません。
柄の木は、内側だけに沿わせています。
こちらの杓子は、ラタン仕事がきれいです。
内側もきれいですが、外側はもっときれいです。これも、柄の木は内側にそわせているだけです。
今でも実用品として使われている新しくつくられたものに比べて、古いものはもっと手が込んでいます。
「これ、いったいどうやって柄をつけてあるの?」
内側に沿っている柄の木があまりにも薄く、微妙に曲がっているし、どうやってつくったかわかりません。
う~ん、見れば見るほど、わかりません。
この杓子も、柄にココヤシ部分を差し込んでいます。
ココヤシは平らではなく、丸くなっていますが、柄の先は、ちゃんとココヤシの殻に沿っています。見事なつくりと言うほかありません。
柄のついていないものが一番つくるのが楽に見えますが、やってみるとわかるのは、殻が硬くて、なかなか細工しにくいということです。まだ、すぱっとまっすぐ切って柄をつける方が簡単かもしれません。
今でこそ、トリマーやサンダーなどがありますが、その昔、大した切れ味ではないナイフを使ってこんなにきれいに削り出した人たちに、敬服するばかりです。
この小さな匙は、フィリピンのもので、後はタイとカンボジアのものです。
2014年1月15日水曜日
タイの猫たち
タイで出逢った猫たちです。
ワット・ポー(大きな寝仏のあるお寺)で暮している猫たちはたくさんいました。
お寺に暮らしていて、食料も潤沢のよう、ワット・ポーの猫はどれものんびりしていました。
ワット・ポー には、こんな猫もいました。
プーケットのホテルの中を歩いていたら近寄ってきた猫です。
いつまでも、私の脚に身体をすりすりして遊びたがり、きりがないので歩きだしたら、後ろからにゃーにゃーと文句を言う声が聞こえました。
おまけは、浜辺で命を落としたネズミです。
カニを捕まえようとしたら、首が抜けなくなったのでしょうか?それともカニに鼻でも噛まれたのでしょうか?
ドジな奴でした。
2014年1月14日火曜日
タイの情勢
タイのデモが激化しています。でも、なぜそうなるのか、私にはあまりよくわかりません。 インラック首相の反対派であるステープが、闘争の場を議会から、外での民衆行動に移したというのですが、どうしてそんなことをするのか、それを誰が支持しているかも、よくわかりません。
Facebookを見ると、私の友人にはデモを支持している人もいます。
インラック首相の兄のタクシンが首相をしていた時も大騒ぎでしたが、争点はもっと見やすいものでした。
タクシンは貧しい農民にお金を配ったり、医療費をただにして、自分の支持基盤を確保していたので、農民はタクシンを支持していました。彼は国家予算だけでなく、自分の会社シナワトラのお金も湯水のように使っていたのでした。
しかし都市住民たちは、ばらまきではなく真の問題解決をと、タクシンを嫌っていました。
あまりうまく写っていませんが、左が国会議事堂からまっすぐ伸びている、広いラジャダムナン・ノーク通りで、もう二ヶ月も完全に封鎖されているものです。
それと直角に交わる、手前の運河沿いの道は車が走っていますし、封鎖された通りに歩いて入ってゆくには、問題ありません。
その夜は日曜日だったからか、あるいは毎日やっているのか、道の真ん中につくったステージでは、音楽を流したり、お坊さまがお説教をしたりしていました。
屋台もあれば、仮設お手洗いもあり、たぶん水浴び場もあるのでしょう、夜が更けると、小さな眠るためのテントが路上に並びました。
私たちは、日本でも食べられるようなタイ料理ではなく、本当のタイの味を味わいたいという息子の希望で、デモ隊が占拠した道を通って、すぐわきにある東北料理屋に食事に行ったのです。
官庁街なので、昼食が中心ですが、幸い開いている食堂がありました。
座りこみ主催者は、彼らの食を賄うのですから、大変な出費です。日当も出ているに違いありません。
乾期で農作業は忙しくないとはいえ、ずっと座り込みに参加できるのは、どんな人なのでしょう?季節労働者としてバンコクに出て来て、働くよりデモに参加してお金をもらう方がましだと考えている人たちなのでしょうか?あるいは本当にインラック首相のやり方に反対している人たちでしょうか?
こちら、この通りに面して立っている、国連ESCAPの入口です。夫が門番に、状況はどうだいと聞いています。
ラジャダムナン・ノーク通りは、真ん中の広い通りの両側に緑地帯があり、その外側にも車が通れる道があります。つまり対面交通の道の外側に、それぞれ一方通行の道がついている形になっているのですが、その国連側だけは、通行できるようになっていました。
門番の話では、とにかく通勤にはみな不便しているということでしたが、それでも、誰も文句を言ったりしないのが「タイ流」でしょう。
タイはこの三十年で経済的に大きく躍進しました。その陰で、もともと大きかった貧富の格差はもっと広がりました。
30年前にも、家族の数以上に、それぞれ運転手つきでベンツやロールスロイスを揃えている人もいれば、夜、荷揚げ人夫として、重い荷物を積み下ろしして家計を助けている中学生もいました。
タクシン、インラック兄妹は大富豪ですが、反対派のステープもお金持なのでしょう。相続税や贈与税の課税が議題にはなっても、議員はみんなお金持ちですから、議会で通ったためしがないので、格差は拡大するばかりです。
紛争はどう終結するのか、終結した後に何をしたらいいのか、なんとかやっていくにしても、難しい問題です。
バンコクの道路事情は、高速道路が増え、高架鉄道ができ、 地下鉄ができても、いよいよ悪化していました。
Facebookを見ると、私の友人にはデモを支持している人もいます。
インラック首相の兄のタクシンが首相をしていた時も大騒ぎでしたが、争点はもっと見やすいものでした。
タクシンは貧しい農民にお金を配ったり、医療費をただにして、自分の支持基盤を確保していたので、農民はタクシンを支持していました。彼は国家予算だけでなく、自分の会社シナワトラのお金も湯水のように使っていたのでした。
しかし都市住民たちは、ばらまきではなく真の問題解決をと、タクシンを嫌っていました。
あまりうまく写っていませんが、左が国会議事堂からまっすぐ伸びている、広いラジャダムナン・ノーク通りで、もう二ヶ月も完全に封鎖されているものです。
それと直角に交わる、手前の運河沿いの道は車が走っていますし、封鎖された通りに歩いて入ってゆくには、問題ありません。
その夜は日曜日だったからか、あるいは毎日やっているのか、道の真ん中につくったステージでは、音楽を流したり、お坊さまがお説教をしたりしていました。
屋台もあれば、仮設お手洗いもあり、たぶん水浴び場もあるのでしょう、夜が更けると、小さな眠るためのテントが路上に並びました。
私たちは、日本でも食べられるようなタイ料理ではなく、本当のタイの味を味わいたいという息子の希望で、デモ隊が占拠した道を通って、すぐわきにある東北料理屋に食事に行ったのです。
官庁街なので、昼食が中心ですが、幸い開いている食堂がありました。
座りこみ主催者は、彼らの食を賄うのですから、大変な出費です。日当も出ているに違いありません。
乾期で農作業は忙しくないとはいえ、ずっと座り込みに参加できるのは、どんな人なのでしょう?季節労働者としてバンコクに出て来て、働くよりデモに参加してお金をもらう方がましだと考えている人たちなのでしょうか?あるいは本当にインラック首相のやり方に反対している人たちでしょうか?
こちら、この通りに面して立っている、国連ESCAPの入口です。夫が門番に、状況はどうだいと聞いています。
ラジャダムナン・ノーク通りは、真ん中の広い通りの両側に緑地帯があり、その外側にも車が通れる道があります。つまり対面交通の道の外側に、それぞれ一方通行の道がついている形になっているのですが、その国連側だけは、通行できるようになっていました。
門番の話では、とにかく通勤にはみな不便しているということでしたが、それでも、誰も文句を言ったりしないのが「タイ流」でしょう。
タイはこの三十年で経済的に大きく躍進しました。その陰で、もともと大きかった貧富の格差はもっと広がりました。
30年前にも、家族の数以上に、それぞれ運転手つきでベンツやロールスロイスを揃えている人もいれば、夜、荷揚げ人夫として、重い荷物を積み下ろしして家計を助けている中学生もいました。
タクシン、インラック兄妹は大富豪ですが、反対派のステープもお金持なのでしょう。相続税や贈与税の課税が議題にはなっても、議員はみんなお金持ちですから、議会で通ったためしがないので、格差は拡大するばかりです。
紛争はどう終結するのか、終結した後に何をしたらいいのか、なんとかやっていくにしても、難しい問題です。
バンコクの道路事情は、高速道路が増え、高架鉄道ができ、 地下鉄ができても、いよいよ悪化していました。
登録:
投稿 (Atom)