2016年11月22日火曜日

福井へ

JR敦賀駅前

11月20日に、食見海岸にある、福井県海浜自然センターで、Shigeさんのビーチコーミングの教室が催されました。
午前中はお話と、食見の浜歩き、そして午後は拾ったものや、用意してもらったものなどで、モビールや飾りものをつくりを楽しみました。参加者は近隣の親子連れや、福井、石川、新潟などのビーチコーマーの常連さんなど、50人ばかりでした。

前日は敦賀に泊まりました。
福井県はたぶん初めてでした。東海道線の米原から北陸本線で思ったより近く、
「あれっ、もう降りてもいいのかな?」
と、慌ててしまったくらいでした。


山を抜けてきたせいもあって、敦賀駅からは海が近いことが、なかなか感じられませんでした。
駅から氣比神社までの道には、『銀河鉄道999』の像が点々と置いてあり、夜はライトアップして、敦賀のシンボルにしているそうで、ホテルの前にも像がありました。

坂尻

翌日曜日、海を見ました。今年は日本海を二度も見ることができて幸せでした。
敦賀から会場の食見海岸まで、車に乗せていただいて行ったのですが、地形が入り組んでいて、海が見えたり、池が見えたり、そして八郷と同じになだらかな山並みの頂上より下に雲がたたずんでいて、古い家も多く、素敵な佇まいでした。

このあたりの海は夏は穏やかで、冬に荒れ気味、これから、あの美しいアオイガイなど、たくさんの漂着物が見られるそうです。





2016年11月19日土曜日

お休みします

週末は、福井県若狭町食見海岸で、ブログ友だちのShigeさんのビーチコーミング教室に参加します。

北海道ののらさんも参加されるし、ブログ上でのお名前は知っているけれど本名は知らない、この教室の常連さんたちともお会いできそうです。もちろん、Shigeさんやのらさんとも、実際にお会いするのは初めてです。
毎年、この時期に教室が開かれるのは、海流の関係のようです。

思えば、「漂着物を拾う」ことを知ったのは、今年亡くなられた石井忠さんが、新聞に書かれた一文を読んだ時でした。いつごろだったかよく覚えていませんが、30年くらい前だったと思います。
そのときは、石井さんの住んでいらっしゃる玄界灘だけが「面白い漂着物の寄る場所」だと思いました。

タイで暮らし、続いて東南アジアに足しげく通った時代には、フタバガキ、ナンバンアカアズキなど、素敵な種に夢中になり、どこに行っても、すぐにしゃがみ込んで種や石を拾ったものでした。
やがてネット時代が来て、拾ったものを記録としてとどめておこうとはじめたのが、ブログ「私の拾いもの」でした。そして、それを通じて、Shigeさんをはじめ、いろいろな方とお知り合いになるとは、よもや思ってもいませんでした。

Shigeさんは、お写真を拝見したら、なんと十二、三年前に偶然見たテレビでお見かけした方でした。そのときに、たぶん初めてビーチコーミングという言葉を知りました。
 
というわけで、二日ほどお休みします。



2016年11月18日金曜日

こんなことろから!


仮設木工室用のビニールハウスを組み立てたあと、材木置き場のビニールハウスも建てたのですが、二つはとてもくっついていました。
もう少し離して建てれば、ビニール張替えなどの管理がしやすかったのですが、敷地がぎりぎりで、その向こうに軽トラックが通れるだけの幅を残すと、くっつくのは仕方ありませんでした。

そこへ、まだ雨を避ける場所に乏しいころに買った大きな収納ボックスを並べたので、とうとう二つのビニールハウスの間は通れなくなり、収納ボックスも手前の一つを除いて、開かずの箱になってしまっていました。
さて、手前にあった仮設木工室は取り払いました。収納ボックスの中には何が入っていたのでしょう?


だいたい、今となってはいらないようなものばかりでした。カチカチに固まったセメントもありました。
その一つには、要らないような台所用品が入っていました。中に、紙で包んだものがあり、


開いてみたら、探していた小ぶりのフライパンでした。
仮設小屋に住んでいたときの台所はとても狭く、あまりものが置けないので、この収納ボックスに入れておいたのですが、母屋が完成したときには、なにかと忙しく、収納ボックスの中まで、いちいち覗いてみる余裕がなかったのでしょう。
 

左の、いつも使っているフライパンに比べると、右の小さいフライパンはエッジが尖っています。
長年使い込んだもののよさはこんなことかと、改めて感心しました。

 
小さい方のフライパンは、ずいぶん昔に、アメリカを引き上げたときの母へのお土産でしたが、重すぎるからと、ほとんど使わなかったようでした。

やれやれ、一つ、「あるはず」と思っていたものが出てきました。
実はまだ、「あるはず」で出てこないものがいろいろあります。もう、ブラックボックス然としている地下室以外にあるところはありませんが、失せものたち、いつかは出てくるでしょうか?


中華鍋は、大小二つあります。
元はこの中間の大きさのものを持っていましたが、ときおり困ることがあって、大は小を兼ねるのではないかと大きいのを買ったのですが、大きくて重いので、毎回使うには、手が悲鳴を上げます。
とくに、ときおりスクランブルエッグなどつくって食べたい夫が、
「こんな重いもの使えないよ」
と文句を言うので、のちに小さいものを買い足しました。その小さい方の中華鍋ですら、鉄板が厚いのでかなりの重量があります。


それにしても、よくこんな重い鍋たちを使っているものだと、我ながら感心してしまいます。
一番大きな中華鍋は、誰かに柄の反対側に持ち手をつけてもらったら、少しは楽になるだろうなぁと思いながらも、ずるずる使っています。








2016年11月17日木曜日


仮設の木工室として使っていたビニールハウスを壊したとき、パイプのジョイント金具を外すとともに、取り払わなくてはならなかったのが、各種の蔓です。
ヘクソカズラ、ヤブカラシ、アオツヅラフジ、などが、ビニールハウスの壁に沿ってどこまでも地表すれすれの地下を這い、パイプというパイプにのぼってからみついていました。

蔓は強く、手で引きちぎろうとしても、切れません。
うっかりしていると、そこここに浮き上がった蔓に足を取られて転びそうになります。


あまりにもうっとうしいので、片づけと並行して、ときおり蔓を刈り取り、丸めて、焚火場に持って行かなくてはなりませんでした。

蔓たちと格闘していていて、先日知った、「水口細工(みなくちざいく)」を思い出しました。


水口細工は、経糸(たていと)にはアオヅヅラフジの蔓を使って、緯糸(よこいと)にはクズの若い蔓の中皮を使っています。
私がいつも邪魔にしている植物、どこにでもある植物を使っていたのです。また、細かく綴る繊維としては、在来のワジュロを使うそうですが、これも切っても切っても生えてくるものです。
蔓やシュロはかつて、大いに役立っていたのです。 
水口細工は、滋賀県甲賀市水口地方で、すくなくとも江戸初期からつくられた細工もので、長く水口の主要産業でした。
ところが、1960年代(昭和40年ごろ)に完全に途絶え、材料、加工法、編み方、すべて闇の中に入ってしまいました。
1990年ごろから、それを惜しんだ有志による復元が試みられ、十余年の試行錯誤を経て、やっと復元されました。


水口細工は、江戸時代には参勤交代をはじめとして、東海道を旅する人々のお土産として珍重されました。長崎にいたシーボルトは、江戸に赴く途中(1826年、文政7年)で、水口細工をつくる人々を観察した記録を残しています。
幕末には、なんと年間7万点以上の籠などがつくられていたそうです。


明治になると水口細工の海外輸出が企てられ、欧米で大層な人気を呼びました。
当時の新聞には、アメリカ、ヨーロッパ、オーストラリアなどから、一度に数万点もの注文が入ったという記録があり、町を挙げて生産に取り組みました。 
輸出品は、帽子、キャンディボックス、イースターエッグの箱など、西欧の好みに合わせてバラエティに富んだもの、色も鮮やかな品もつくるようになり、時流に合わせた商品開発も盛んで、戦後もそれは引き継がれました。
 
ところが、高度経済成長期に入り、水口町周辺に多くの機械や電気の部品工場が進出すると、水口細工の職人たちはこぞって転職してしまいました。
材料を採る、材料を加工する、編むなど工程は分業されてたので、職人たちが抜けていくと、水口細工はシステムとして立ち行かなくなり、需要があるというのに衰退してしまいました。
もちろん、あまりにも日常的な作業だったので、制作方法が記録されることもなく、世代が代わるとき受け継がれることもなく、やがて、地域全体から水口細工の存在すら忘れ去られてしまいました。


それを、材料を科学分析して特定し、蒸したり、発酵させたりと加工法を試み、編み方を試行錯誤して、復元には十数年かかったといいます。
蔓たちを眺めながら、水口細工のような、失われた技術はたくさんあるんだろうなと、思ったことでした。






2016年11月16日水曜日

長い間、ありがとう

ビニールは再生不能なので、できたら使いたくないものです。
しかし、家を自力建設するにあたって、手っ取り早く、最小限の予算で作業場を確保したいとなると、梁がなくても広い空間が取れるビニールハウスはもっとも簡便でした。

そのため、間口が二間半のビニールハウスを二棟建て、かつては両方とも作業小屋でしたが、作業棟を建設するために、場所を移動させてからは、一つを材料置き場として使ってきました。


ところが二つとも、2014年2月の大雪でつぶされてしまいました。
新しいフレームを買うのもばからしいと、曲がったフレームを力ずくで伸ばして使ってきましたが、雨水がたまりやすく、たまるとすぐにビニールが伸びてしまいます。フレームがいびつなせいでビニールを張り替えたりする管理もしにくくなり、厄介ものになっていましたが、中身を移動させるあてもなく、ずっと使ってきました。

 
仮設木工室の方は、フレームをユンボで押し上げたり、伸ばしたりすることができたので、雨もたまりにくくなり、なんとか機械を守ってくれました。

ところが、材料置き場の方は、ものがいっぱいな状態でつぶれたのでユンボが使えず、フレームを満足に押し上げることができませんでした。
外からは、少し押して形を直したのですが、すぐに張り替えたビニールのあちこちに雨がたまり、ビニールが伸び切って、元通りにならなくなりました。下から棒でつついて水を捨てても、雨が降ると必ずたまります。
おしまいにはさじを投げたので、あちこちがたまった水の重みで敗れ、見かけも、中身もめちゃめちゃになってしまいました。
 

さて、木工室はやっと空になりました。
そして、いよいよ、14年にわたって、木工室として役立ってくれたビニールハウスの取り壊しです。


どうせ、雪で曲がってしまったフレームで、再利用はできないので、ユンボで引っこ抜いたりしながら壊し、使えるもの、捨てるものに分けていきます。


二日かかって、すっかり更地になりました。


作業棟を、西側からも見ることができるようになりました。


相変わらず、材料置き場は哀れな姿をさらしています。
こちらは、木工室よりもっとものが詰まっていますが、長い間雨ざらしだったので、処分するものの方が多いことでしょう。





2016年11月15日火曜日

ペルーの刺繍布


二十年ほど前に、ペルーに遊びに行った息子が、お土産に買ってきてくれた、アルパカの布にアルパカで刺繍した布です。

息子からは何も聞かなかったのですが、縁の模様のパターンや、すべてがチェーンステッチであることから、チチカカ湖あたりのもののようです。

世界またたび旅行記より

息子にもらった布とよく似た布を、ネット上で見つけました。
ただ、チチカカ湖の湖上に住むウル人の刺繍だと書いてあるものと、インカの末裔のケチュア人のものだと書いてあるのがありますが、どちらかと決めることができません。

世界またたび旅行記より

これは、チチカカ湖のほとりで、ウルの人たちが店を広げているところだそうです。


今はお土産物としてつくられることの方が多いのかもしれませんが、もとは毛布だったと思われます。
アルパカは軽いうえに、平織だけでなく、チェーンステッチで刺繍をすると、ずっと暖かさが増します。


しかも、暖かさが増すだけでなく、刺繍すればずっと楽しくなります。


抽象化された、いろいろな動物や人が刺繍されていますが、


なかには、神さまもいるのでしょうか?
 

裏も、すっきりときれいです。


この布は、いつも客用布団を置いた上にかけています。

以前は、お客さまはプレハブでつくった仮設のゲストハウスに泊まっていただくことが多かったのですが、このところ、母屋の、展示室の隅に申し訳程度につくった屋根裏部屋に泊まっていただく機会が増えています。
特にこれからの季節、母屋はOMソーラーで暖房しているので、晴れてさえいればストーブを焚くこともなく、全館温まっているので、この部屋で暖かく寝られるし、雨が降っても、居間で焚いた薪ストーブの温かさが二階まで届くので、快適です。






2016年11月14日月曜日

七五三


昨日は、孫のはなちゃんの七五三でした。
はなちゃんのお母さんが七五三のときに着たという絞りと刺繍の着物、なかなかよく似合っていました。
息子たちに、お宮参りも七五三もしてやらなかった私としては、ちょっと面はゆい感じです。

最初は夕食時まで着物を着たままでいると言っていたはなちゃん、歩いて湯島天神まで行ったらこりごり、「新日本髪」に結った頭も痒くなって、帰ると早々に着替えてしまいました。


そのはなちゃんが来た時に遊ぼうと買っていたゲームを、うちにあるよりはなちゃんの家にあった方がいいだろうと持って行ったら、
「うちに、同じゲームがあるよ」
「えぇぇ?」


私が数年前に買ってやったのに、手元にないものですっかり忘れて、もう一度買ったものでした。
というわけで、そのゲームは、しおしおと持って帰って来ました。


そのはなちゃんからもらったもの、フリーマーケットで見つけた金魚のじょうろです。


はなちゃんのつくった傘ももらいました。


正七角形の傘でした。
金魚と傘をもらって、おばあちゃんとしては、いい年をして大喜びでした。