2025年3月1日土曜日

アルフォートブルー

好きなラジオ番組が次々となくなってしまった今日この頃、「安住紳一郎の日曜天国」は長く続いていて楽しい番組の一つです。とりとめのない話に、日曜の朝から笑えます。
しばらく前の放送は、ゲストがみうらじゅんさんでした。 
相変わらずオイルショック(老いるショック)を受けないために、若づくりならぬ老けづくり(だったかな?)をしているとか、それを見て90代のご両親が60代後半の息子に、
「(かわいい)じゅんちゃん、そんなことはやめて」
と言っているとか、おもしろい話が満載でした。
その中に、「アルフォートブルー」がブルーの中で最高という話があり、ニベアブルーの話も出てきて、ニベアは缶の色が変わった、もう探しても古いニベアブルーの使われているニベア商品はほとんどないという、どうでもいい話がありました。
その、ブルーマウンテン(青の順位という意味)の頂点に立つというアルフォートブルーのアルフォートとは何か、私は知りませんでしたが、聴いていてお菓子だとわかりました。

それから、スーパーやコンビニに行ったとき、思い出したらお菓子売り場でアルフォートを探してみたのですが、中に何が入っているのかも知らなかったので、なかなか見つかりません。そして先日、やっと近くのコンビニで見つかりました。


「へぇぇ、これがアルフォートブルーか」
私もものずき、しみじみ見入ってしまいました。


ニベア缶と比べてみると、アルフォートブルーは古いニベアブルーより明るく、新しいニベアブルーより濃い、そんなブルーでした。
ところで、模様のないニベア缶のブルーもこれと同じ明るいブルーに変わったのかしら? まだ見てないので不明です。


話の中に、フェルメールブルーという言葉もちらっと出てきました。アルフォートブルーとフェルメールブルーが同列になっているのがみうらじゅんのおかしいところです。

フェルメール(1632-1675年)の時代は、絵の具は自分でつくらなくてはなりませんでした。フェルメールブルーは、鉱物を細かく砕いて青い粒子を集めたラピスラズリというもので、それに糊となる媒材を混ぜてつくりました。媒材は、貝殻や卵の殻などを細かく砕いて粉にして、それを油やにかわの液などで溶かしてつくりました。
化学で絵の具がつくられるようになったのはずっと後のこと、20世紀に活躍したパウル・クレー(1879-1940年)でさえ、自分の納得できる色をつくるために絵の具を自作、カドミウムを使っていて、皮膚硬化症を患っていました。






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