2011年6月21日火曜日

籠目の籠 その二





カゴメの籠は、底が平らですから、お茶道具とかなにか、まとめてしまっておくのに便利です。
我家の犬ども、糖コントロールの餌を食べている犬と、ダイエットが必要な犬がいて、毎日目方を量って餌をやっているので、その一日分の餌をまとめておくのにも、カゴメの籠を使っています。

この、福島県三島町の籠市で手に入れた籠は、竹の皮を外にして編んでいます。




縁にまわした木(枝)をまとめるのに、針金を使っているのが見えます。
立ち上がり際の角に一段、立ち上がった部分の真ん中のあたりに一段、竹を巻いて強度を出しています。
竹は、スズタケでしょうか。





まったく同じ方法でつくられた、カゴメの籠です。
近所の骨董市で手に入れたものです。




縁の木をまとめているのは、油紙のようなものです。なにか、動物の内臓か皮でしょうか?それとも、樹の皮?、よくわかりません。




上の籠とは反対に、竹の皮を内側にして編んであります。角の補強はなしです。




これも骨董市で見つけた籠ですが、縁の作り方が違うので、違う地域の籠でしょうか。




補強の竹が、美しく差しこんであります。
木の枝を使った縁の籠とは、また違った雰囲気ですが、どちらの作り方のほうが難しいのか、見当もつきません。




昔から使っていた、小さなカゴメの籠です。しばらく前から、補強の竹が折れています。
手荒にダンボール箱に放り込んで引越ししたときに壊れたものでしょう。そのまま使っていますが、思い立って直してみようと、補強の竹を抜いてみました。




籠師さんなら朝飯前の仕事です。うまくできるでしょうか。
まず、冬に切った竹を探し出して、割かなくっちゃあ。


2011年6月20日月曜日

籠目の籠





カゴメの籠です。
華奢に見えますが、細いひごが一本や二本竹が折れてしまっても、ばらばらになったりしません。
この籠は、もう三十年以上、我が家で使っている籠です。




なんとなく、シンプルなカゴメの籠は日本固有のものだと思っていました。

昔の絵巻物にも、カゴメの蛇籠が描かれていたり、着物の意匠にも数多く使われています。




カゴメ模様は魔除けの意味もありました。だから着物にもよく使われましたし、犬張子は、子どもがすくすく育つようにと、魔除けのカゴメの笊をかぶっています。

カゴメ編みは、もとをたどれば中国大陸から来たのでしょうか?




というのは、タイでも見かけたからです。
ただ、タイでカゴメの編み方が使われているのは笊ではなく、織物の道具だったり、




儀礼にさいしての高坏だったり、ざっとつくって使い捨てる、果物の包装に使う籠だったりしました。




また、籠がさや、




お皿にかぶせて使う蝿帳などのように、軽く仕上げたいものにも使われていました。




タイのカゴメ編みで、ものを入れて使う籠となると、日本のシンプルなカゴメの籠とは比べものにならない、手の込んだ複雑な編み方のものがあります。
この細かい細工は、タイの誇るものですが、オリジンはやはり中国とかヴェトナムではないかと思われます。




そんなカゴメの籠ですが、『暖炉の火のそばで。ターシャ・テューダー手づくりの世界』(マーティン&ブラウン著、メディアファクトリー、1996)に、ターシャ自身がつくったというカゴメの籠が載っていてびっくりしました。

この籠は、チーズをつくるとき使ったと説明がありますが、ちょっと不似合いというか、違和感を覚えてしまいます。
生活のすべての過程で伝統を重んじたターシャが、伝統的なヨーロッパのチーズ漉しではなくて、なぜカゴメの笊を使ったのか、不思議な気がします。




『暖炉の火のそばで。ターシャ・テューダー手づくりの世界』には、一番最初の目次のところにもう一つ、小さいカゴメの籠が載っていますが、こちらには説明がありません。




こんな籠や、




こんな籠をつくって、使っていたということは、すぐに納得できるのですが。
それにしても、トネリコの木を採集するところからつくったというターシャ、お見事です。





2011年6月19日日曜日

天秤棒





整理のつかない写真の中から、こんな写真が出てきました。
タイ東北部で田植えを手伝ったとき、竹の棒で苗を運んでいる、若(くもない)かりし頃の私の勇姿です。タイのタオルのパッカマーで、このあたりの女の子がするように、顔をすっぽり包んでいます。もうシミ・ソバカスだらけになっているので、包む必要もなかったのですが。

苗代で抜いたばかりの苗は水を含んで重いのですが、こうすると一度にたくさん運べます。




天秤棒など、棒を肩に担いで運ぶのは、東アジアから東南アジア大陸部にかけての固有の文化でしょうか?
アフリカだったらどうする?
アメリカだったらどうする?
平らなアフリカでも、高地のアメリカでも、たぶん頭に乗せたり、額や肩に紐を掛けて背中に背負ったりして運びます。肩への振り分け荷物はあったとしても、天秤棒はなかったのではないかと思います。

タイやカンボジアで見た天秤棒は竹製でした。日本のより肉厚の竹を使います。竹の天秤棒は木の天秤棒より軽く、よくしなります。
天秤棒がしなる分、水をいっぱいに汲んだバケツを、天秤棒の前後に下げて運ぶときなど、腰で うまく調子を取ってリズムよく歩かないと、水がこぼれてしまいます。
1980年代まで、村はずれの池から水を汲んでくるのは、たいてい子どもの仕事でした。彼らはこともなげに何往復もしますが、慣れない者が真似すると、たったの二往復くらいで、肩は赤く腫れ上がってしまい、次の日から使いものにならなくなってしまいます。




カンボジアの天秤棒は、端で厚みを変えていますが、タイのものはイカのような形に切り込みを入れていたでしょうか?記憶違いかもしれません。




『THAI FORMS』に載っている、タイの優美な天秤棒です。端は節を利用していますが、お寺の屋根のように、先端を反り返らせています。




我が家では、骨董市で買った、日本の天秤棒を、柿や大根を干すのに使っています。
天秤棒は、ひと昔前の農家には、肥料を運んだり、土を運んだりするのに、なくてはならないものでしたが、消えてしまいました。
タイでも、1990年代の後半には、多くのところでリヤカーにポリタンクを積んで水を運ぶようになっていました。




ウィキペディアで見ると、天秤棒は運搬に使うほかに、喧嘩のときには叩いたり、振り回すのに使われたと書いてありました。
知らなかったぁ!

写真は、見つけた蜂の巣を運ぶ、タイのおじさんです。

2011年6月18日土曜日

椰子の葉細工のバッタ





なんでも取っておいて、なんでも運んでしまう私ですが、泣く泣く諦めることもあります。
椰子の葉でできた、このバッタがそうでした。
大荷物を予期して、増えたものたちは誰かに託したり、機会を見て自分で運んでおいたりしたのですが、三年の滞在を終えてカンボジアから帰国するとき、スー ツケースはあふれんばかりでした。スーツケースには入らない、丸めたござ、織物を巻き取る大きな板数枚、鉄の椅子などもあって、目方も量も限界に達してい ました。
このバッタは、小さいけれど潰れやすく、ぎゅうぎゅう詰めのスーツケースの中には、なかなかしまい場所がないものです。
しかたなく、ご近所の子どもにくれてしまいました。

乾季明けのボートレースのおりに買ったものだったでしょうか。




ボートレースは、村ごとのチームで競いあう、楽しいお祭です。




サップ川のほとりには、食べ物屋さんやおもちゃ屋さんなど、たくさんの店が並びます。




「あっ、タイガービール缶が浮かんでいる!」
風船屋さんは子どもの気持ちを惹きつけます。




そして、これが椰子の葉細工のおもちゃ屋さんです。
売り子は年端の行かない子どもたち、自分でつくったのでしょうか。




鳥には、ストローの足がついています。




バッタや、金魚、エビもいます。

写真を見ると、あの日の喧騒が思い出されます。



2011年6月17日金曜日

マタタビの籠



マタタビの籠を、初めて見たのは、山形のTさんの家ででした。
15年以上前でしょうか、山形のお百姓さんのグループと、タイやフィリピンのお百姓さんのグループが長年交流していて、タイの方たちが来日したとき同行させていただきました。一行は何軒かに分宿、私と元同僚のYさんは、Tさんの家に泊めていただきました。

とても楽しい滞在でした。
Tさんが小さい頃は、冬の間じゅう道に雪が残っていて、町まで出かけようと思ったら、腰まで埋まりながら歩いて行くしかなかった、などというお話も興味深いものでしたが、私のことですから、一番印象に残ったのは、なんといってもTさんの家にあったマタタビの籠でした。
亡くなったおじいさんの手づくりという、黄色味をおびた、美しい腰籠でした。

そのときまで、マタタビの名前は知っていても、マタタビは見たことがないし、マタタビで籠がつくれることも知りませんでした。




それから何年かたって、雑誌『季刊銀花』(昨年廃刊)で、福島県三島町でマタタビの籠がつくられていることを知りました。会津方面に行く機会があったときに、ちょっと足を伸ばして三島町を訪ねてみました。
籠づくりは冬の作業とか、そのときは季節外れだったため、町のどこにも籠がありません。やっと、つくっている方の自宅を訪ねあて、「新品ではない、使っているものだ」という自家用の笊を、無理やりのようにして譲っていただいてきました。

それがこの薄い笊です。
以後、うどんやそばを盛ったり、天ぷらを盛ったりと大活躍、すっかり貫禄がつきました。




マタタビはラタンに似ていますが、ラタンよりしなやかで、籠が柔らかくしなります。足の部分は特別に補強されていませんが、竹に比べて磨り減り方が少なく、折れもせず、丈夫なような気がします。
ただ、乾燥を心がけていますが、裏は真っ黒になっています。
竹より黒くなりやすいでしょうか。




三島町では、毎年3月31日に、手仕事祭りを催し、マタタビやアケビなどの籠の市を開きます。五年ほど前、市に行ってみると、先回訪ねたときとは打って変わって、籠、籠、そして大勢の人でした。
三島町の手仕事だけでなく、他の地域からの竹籠なども集まり、雪が舞っているというのに、大賑わいでした。

そのとき買った米あげ籠です。

マタタビの籠は、縁の作り方が素敵です。上の笊は、縁に回した芯(マタタビの枝?)が見えないように巻いてありますが、下の籠は芯を見せています。どちらも素敵です。







2011年6月16日木曜日

コナギと格闘



地震で播種が遅れ、余震で播種箱がゆさぶられたりしましたが、赤米の苗はなんとか育ちました。
コシヒカリは、今年はライスセンターの苗を買ってもいいやと、手を抜いて蒔かなかったところ、ライスセンターの苗が足りなくなって、田植えが遅れる農家が出てくるという、番狂わせが起こりました。

まわりも遅くなるなら、我が家の田んぼだけ残ってイノシシにやられることもなさそう、「禍転じて福となる」
と喜んでいたら、赤米を植え終わったところで、夫が膝を痛め、田植えどころではなくなりました。

六 月に入り、やっとライスセンターの苗が育って、遅くなっていたまわりの田んぼの田植えがあっというまに終わっても、三分の二以上残っている田植えを、私一 人で続行するかどうか、なかなか決心がつきませんでした。カール・マルクスではありませんが、田植えのような作業は「共業の利益」が大きく、一人でやるのは 寂しいものです。

田植えを迷っていたら、整体師のKさんが、「余った苗を畦に捨てているから、持っていけば」と言います。取りあえず貰ってから考えても遅くないと、もう黄色くなりはじめた苗を播種箱で二箱分もらってきました。

決心がついて、午前中だけ田植えすること三日、あと一日で植え終わるところまで、なんとか来ました。
やれやれです。




田植えは、そうたいへんではありませんが、問題はコナギです。紫色の可憐な花をつける草ですが、コナギが繁茂すると、窒素を盗られて、稲がよく育ちません。
田んぼにはコナギがびっしり。




順調に田植えをしていたら、今頃稲の間のコナギ取りに苦労したと思うと、冷や汗ものです。




まず、横に広い刃の草掻き鍬で、ていねいにそこいらじゅうのコナギを掻きとります。
あっというまに水面はコナギだらけになります。

そして田植えですが、田植えしながらも、残っているコナギを引き抜きます。




労力としては、草掻き三、田植え一くらいの配分でしょうか。

それでも、田植された田んぼを見るのは、気持ちよいものです。我が家の上下の田んぼは、五月に田植えされた田んぼなので、もう緑が濃くなっています。




でも、今年はまだまわりに、こんな田んぼもあるのです。


                             なんだっぺ



2011年6月15日水曜日

陶器の車






友人の陶芸家、川崎毅さんが、若い頃に、仕事ではなくて遊びでつくったバスとトラックです。




これをつくった当時の、トラックのボンネットはこんな形をしていたでしょうか?こんなに前に出てはなかったけれど、少し前に出ていたでしょうか?すっかり忘れています。




バスは間違いなく今と同じような形をしていて、こんなボンネットのバスは、とっくに走っていませんでした。




川崎家に遊びに行った夫が、
「おれもつくってみようかな」
と言ったのでしょうか、それとも、
「つくってみたら」
と勧められたのでしょうか。
珍しい、夫がつくった車、当時の我が家の車だった、スバルサンバーです。





窓やフロントは釉薬で描くことを思いつかないで、貼ってあります。屋根は確かにこんなふうに縞模様になっていました。
右ライトと、左屋根についていたもの(ライトかな?)がとれてしまっているのは、素焼きしたときに落ちたのでしょう。素焼きも本焼も、川崎さんにやっていただきました。

今は四角っぽい車は全然珍しくありませんが、当時のスバルサンバーは、四角っぽくて丈が高く、ちょっとミニバスのようにも見える車でした。
それまで、二年ちょっとアメリカで暮らして、やけに大きくて平べったい車ばかり見てきた目には、小さくて四角い形がとても新鮮に映り、車を買うならこれにしようと決めたものでした。

自家用車はまだ普及していない頃でしたが、夫はこの車で山を二つ超え、遠く離れた国鉄線の駅前に停めて電車に乗り、毎日二時間かけて通勤しました。

夫の陶芸作品は、後にも先にもこれだけです。