2021年12月10日金曜日

べっこう飴の型

先日の骨董市で、ガラス骨董のわじまさんの店をのぞきましたが、その日も私の好きな糊ビンや染料ビンなどありませんでした。
わじまさんの品揃えは、飴屋ビンや剣先コップなど、ガラスコレクター垂涎のものたちです。
いったん離れて場内をぶらぶらしての帰り道、わじまさんの店の裏側の道を通っていると、薄い銅板を打ち出したものが並べてあるのが目に留まりました。
べっこう飴の型のようです。


素朴ないい出来です。
鯛と鶴は、お菓子の木型などによくある形で独自性が感じられませんが、ほかはいろいろ、まず惹きつけられたのがタコでした。おもちゃのピストルもおもしろいと、かわるがわる手に取って見ていたら、
「全部まとめてしか売らないよ」
とわじまさん。
確かに、揃っている方がいいに決まっています。買うかどうかしばらく迷っていましたが、なんだか別れがたく、いただいてきてしまいました。


どれも底にべったりと両面テープが残っているので、前の持ち主はこれを、板などに貼りつけて飾っていようです。それをしこしこと剥がしました。
鳩の型に比べると小さくて、飴は鳩の半分も入りません。


私は、上の写真のような底のないべっこう飴の型を夜店などで見たことがありますが、銅板を打ち出したべっこう飴の型は、鳩以外見たことがありません。銅の型はいつごろまで使われていたのでしょうか?


小さな飴しかつくれないので、最初は駄菓子屋などでばらで売っていたのではないかと思いましたが、やはりセットで売られていたのでしょう。というのも、もしバラで売っていたら、子どもならそろばんの飴よりピストルや羽子板、あるいは中で一番大きい鯛の飴が欲しいはず、そろばんばかり残ってしまうのではないかと思いました。


野球少年の胸の文字は読めませんが、キャップの「W」は早稲田です。ということは、野球と言えば早慶戦だったころのものなのかもしれません。

べっこう飴の型を底から見ると、線が全部「谷」になっています。
銅板をざっと形に切り、松のヤニ台の上に置くなどして、裏から鏨(たがね)を当てて模様を打ち出し、最後に周りを打ち絞って薄い皿状にしたものでしょう。金、銀、銅や錫合金など可塑性の高い板を叩いて成形する、鍛金(たんきん=打ち出し)という技術です。
鍛金は、紀元前4000年以上前にはじまった技術で、メソポタミア文明や古代エジプト文明に、その歴史を見ることができます。日本には弥生時代に、大陸からその技術が伝わりました。
鍛金は、近代になって金属板を機械で絞ることができるようになるまで、世界中、いたるところに見られました。わが家にも、ガーナパレスチナ北アフリカタイやカンボジア中国などの鍛金でつくられたものがあります。
日本でも、薬缶や水筒、チロリなど液体を入れるもの、茶道具などの工芸品、茶托やお皿など、さまざまなものが鍛金によってつくられました。
もっとも、べっこう飴の型をつくる技術は、鍛金と呼ばれるほどでもない簡単なもの、しかも銅板がとても薄いので、見よう見まねでもつくることができたはずです。

べっこう飴がつくられ始めたのは、早くて砂糖がオランダからもたらされた江戸時代後期、もしかしたら明治になってからかもしれません。
ところで、べっこう飴はいまでも愛されているのでしょうか?
尖った形のべっこう飴を口に入れると口のあちこちを押すし、なかなか溶けない。嚙み砕けない。手や口の周りはべたべたするし、味は単調。子どもながらにけっこう辟易するお菓子でした。同じ砂糖菓子なら、コンペイトウ、カルメ焼き、薄荷糖、飴玉などの方がずっと好きでした。







2 件のコメント:

hiyoco さんのコメント...

タコ、気になりますね!頭に足を1本乗っけてます?ラケットとそろばんが地味過ぎて面白いです。
野球とWで早稲田とピンと来るなんてさすがです!私はKの学生だったので友達に誘われて一度だけ早慶戦見に行きましたが、野球に興味がないので途中で眠くなってしまいました(笑)。
ところで、この型に飴を流し込んで上手く取り出せるんでしょうか?剥がれないような気がするのですが。

さんのコメント...

hiyocoさん
タコが胸に抱いているもの、王冠にも見えますが何でしょうね(^^♪
確かにラケットも地味ですね。
hiyocoさんはKでしたか(笑)。笑うところじゃないですね。
プロ野球が盛んになる前は、何と言っても早慶戦でした。私は一回も見たことはないけれど(笑)。
私もこの型でよく剥がれたかどうか訝しく思ったのですが、固まったあとにちょっとだけあぶって、くっついた面を溶かして剥がしたのではないかと思います(まったくのあてずっぽうですが)。斜めに串を突っ込んでいる写真も見ました。