![]() |
| 世界遺産ナビPamonより、お借りしました |
中国雲南省の元陽(モウビン)には、広大な、そして美しい棚田があります。
哈尼梯田(ハニ棚田)と呼ばれる棚田で、少数民族のハニ人の里です。ハニ人のルーツは北方遊牧民である羌人(キョウ人)で紀元前から4世紀ごろにかけて、青海や清蔵(チベット)から南下を開始、現在は中国だけでなく、ビルマ東部、タイ北部、ラオス北部、ヴェトナム北部にかけて広く点在していて、アカ人(ヴェトナムではハーニー)として知られています。
家族と共にタイに住んでいた頃、私はアカの上着を手に入れました。半年に1度くらい開かれていた、山岳民族のハンディクラフトのバザーで出逢ったものでした。
そのバザーを主催していたのはアメリカのNGOで、山岳民族の収入源である芥子(アヘンの材料)の栽培に代わるものとして、竹やラタンの細工、木彫り、織り物、刺繍など、彼らが得意としている技術を生かした商品をつくることを奨励・指導し、できたものをバンコクのISB(インターナショナルスクール)の体育館で展示販売していました。
バザーでは、伝統的なパッチワークを生かしたベッドカバーやエプロン、木とラタンでつくった椅子やラタンの葛籠など、山岳民族の伝統技術を活かしていながら現代生活にも似合うものがたくさん売られ、売上金は生産者に還元されていました。
バザーには、新しくつくったものだけでなく、彼らがつくりためた民族衣装が売り出されることもあって、これはそんな1枚ではなかったかと思います。
手織り布を藍で濃く染め、小さな三角の色とりどりの布を刺繍糸で縫いつけ、刺繍を施したアカの典型的な民族服です。
美しいものをつくりたいという気持ちに突き動かされてつくったであろう細かい刺繍の後ろ身ごろ。まわりには小さなジュズダマを縫いつけてあります。
この上着は、よく羽織りました。アカの上着は着物のように身八つ口があり、脇の下に余裕があるためか、袖は太くはないのに着やすいものでした。
その後、もう1枚アカの上着を手に入れました。これはどこで手に入れたものだったか、もしかしたらやはりバザーだったかどうか、忘れてしまっています。
当時は、タイ北部では、山岳民族の人たちはまだ普段着として民族衣装を着ていましたが、アカの人たちは黒にしか見えないほど濃く染めた服を着ていたので、藍色を感じられるこの上着は珍しいものでした。
袖には別布も使っていましたが、後ろ身ごろは刺繍だけで、三角模様はありません。もしかしたら、アカにはもともと三角模様はなかったものの、より派手にしようと、時代が下がってから三角模様が流行ったのかもしれません、
超人的な根気がないと刺せないほどの細かい刺繍です。
刺繍は、横に細長い7枚の布に施され、それを後ろ身ごろ布に上部と脇だけ縫いつけ、下部は3ヵ所、点で縫い止めています。小さい布だとどこにでも持って行けるし、刺繍もしやすかったのだと思われますが、布を重ねることによって防寒のことも考えていたのかもしれません。
そういえば、たった今思い出しましたが、これには染めてない白い布でつくった、まったく同じ形の重ね着がついていました。無くしてしまいましたが。
袖も美しい。写真では袖に縦に使ってある赤い布が鮮やかな赤に見えますが、実物は草木染めと思われる、もっと落ち着いた深い色をしています。
左の上着は、右の上着よりわずかにサイズが小さいので、着ることができるけれど窮屈。それに、背中の布をダブルにしているからかちょっと重く、ほとんど着ることはありませんでした。
![]() |
| 『FROM THE HANDS OF THE HILLS』より |
さて、アカの人たちは短いスカートにスパッツを履きます。12月ごろ、乾季ともなれば北タイのしかも標高の高いところではスパッツは防寒のためにも必需品です。
これも今気づきましたが、上着の下に白い重ね着を着ているようです。
そのスパッツは、小さなポシェットをつくるのにちょうどいいからと買った覚えがあります(つくりませんでしたが)。
赤色が洗濯で滲み出ているので赤は化学染料でしょう。ちなみに東南アジアに化学染料がもたらされたのは、20世紀初頭です。
こちらのスパッツはシンプルですが、配分も配色も粋です。














どちらの上着も細かくてすごい刺繍ですね!緻密さに圧倒されます。これが日常の当たり前の手仕事だったんでしょうね。
返信削除hiyocoさん
返信削除コスパもタイパも考えず、ひたすら自分との闘いに挑んだ人たちの作ったものはどれも素晴らしい!どんなにお金をもらっても時間をもらっても、現代人にはもう作れません。
文化服装学園には、そんな刺繍がいっぱい並んでいたのでしょうね。見に行けるよう、頑張ります🎵
>コスパもタイパも考えず
返信削除そこなんですよね。量産品との違いは。
あれっ、ちょっと手間や材料をかけ過ぎたのかな、と製造者は作った後で気づくものの、使用者はその温もりと飛び抜けたパフォーマンスに感動し、長く愛される。
かきつばた
かきつばたさん
返信削除ちょっと引っかかりました。
製造者が、「手間や材料をかけすぎたかな?」と思うってこと自体が、製造者として、どうなんだろうと思います。
現代社会において、「収入を得る」ということを抜きにしては何も考えられなくなっていますが、例えば同じ仕事でも、意気に感じて自分と向き合いながら作って、仕上がりに「やった!」と思うのと、「値段に見合ってないほど手間も時間もかかっちゃった」と思うのは、心持ちが違うような気がします。だから、現代のものづくりの人の多くも、いつもジレンマがあるんじゃないかな?
とにかく楽しんで作る。そうした作る人がわくわく感と満足でいっぱいの仕事が、使う人に愛されるんだと思うけれど、どうでしょうか?
かきつばたさん
返信削除思い出したけど、ちょっと昔のお土産もの、どれもこれもお金のために作ったんだと思うけれど、そしていっぱい作ったんだと思うけれど、心惹かれます。
貝を使おうとか、どんぐりを使おうとか、内職で仲買人から材料は支給されていたかもしれないけれど、時間との戦いだったかもしれないけれど、見ただけでその人の工夫が入っていて、作る喜びが詰まったものもあります。そうでもないものもあるけれど。
お金のために作っても、それしか生きる道のなかった人が作ったものは、力強いです。
どうなんでしょうね。
削除少なくとも私の見てきた職人たちは、上手くできても「やった」などとは絶対に思わない人たちばかりでした。会心の出来とこちらが思う物であっても、「偶然上手くできたのかもしれない」と謙遜するような人たちでした。
作る時に一生懸命になり過ぎるが故、出来上がった時に時間がかかりすぎたと気付くことが多いようです。
手作りであっても土産物のようなルーチンワークの量産の範疇に入るものはその限りではないのでしょうが。
かきつばた
かきつばたさん
削除「やった!」というのは言い換えれば達成感ですが、ものづくりの人はみんな感じているのではないでしょうか。
私自身はものづくりをしていましたが、タイに住んだ時、山地民の人たちの代償を求めない仕事を見て、自分のやっていることを薄っぺらさを恥じてやめました。
それから数十年後、家を自作することになりましたが、毎日が面白く、やるごとに作る喜びは増していきました。できるだけ手を抜くのではなく、できるだけ手をかけました。
その後夫がf邸を設計し、大工さんが二人関わり、もちろん彼らは私とは全く違う精度で作っていましたが、普通は建具屋さんがやるような仕事にも挑戦し、とても楽しそうでした。
やるに足る仕事というものは、切羽詰まっていても楽しいものだと、私には思われますが・・・。