先日、ひな祭りを前に、私のブログの読者だとおっしゃるかねこさんから高山土人形の雛揃いをいただきました。
かねこさんに、そしていただいたお雛さま自身にも、何らかの形でお礼をすることができないかと考えていたところ、
「そうだ、初代のつくった高山土人形と一緒に飾ろう!」
と、思い至りました。
というのも、このお雛さまが高山人形とわかってからネットで高山人形をいろいろ見ていた中に、初代がつくったお雛さまがいたのです。しかも傷(女雛の向かって右肩)があるせいか、古い人形にしては手の届く値段で売られていました。
ところが、届いてびっくりでした。
サイズが記載してあったのにろくに読みもせず、なんとなく初代のお雛さまも2代目のお雛さまと同じくらいの大きさだろうと思い込んでいたところ、「大きすぎない?」と首を傾げた箱の中から、高さが28センチもある、立派なお内裏さまが出てきたのです。
高山土人形は、初代の岩信成さんと娘の岩光子さんの2代だけで廃絶しています。その初代と2代目の人形は、型が違って作風が似ていません。
これほど違うと、父娘がどんな関係だったのか、想像力がかきたてられてしまいます。一緒につくられたことがあったのか、それとも初代亡き後、それまで人形づくりにはかかわっていなかった2代目が、一念発起して、あるいは周囲に押されて人形づくりをはじめたのか.....。
2代目は、飾りやすいように型を小さくつくりなおして、明るく、カラフルに採色しています。初代のお雛さまを古臭いものに感じさせた時代に、需要に応えた結果だったのかもしれません。
陶工の家に育った初代の岩信成さんは、大正の中頃、愛知県三河や富山などの土人形から型取りして独自の型をつくり、岐阜県高山市山田町で焼かれている伝統的な生活雑器の「山田焼き」の技術で「高山土人形」の制作をはじめています。光子さんもそのパイオニア精神を受け継がれていたものと思われます。
初代のつくった女雛は、左肩を破損していて修理の跡がありますが、お顔が無傷だったのは何より、修理もとてもきれいにされています。
よく、100年以上生き延びてこられました。
さて、今年は旧暦の雛節句をめざして、これから雛壇をつくりますが、初代と2代目の高山土人形だけでなく、できればこれまた桁外れに大きい今宿土人形も一緒に飾れるよう、なんとか工夫したいと思います。



0 件のコメント:
コメントを投稿