2026年2月5日木曜日
腰籠
先日の骨董市、水屋さんのお連れ合いの店でブルガリアの民族衣装の人形を買った日に、水屋さんの店にはいくつかの籠が並べてあり、その中に腰籠がありました。スズタケできれいに編んである腰籠です。
腰籠はいろいろ持っているので一旦見送りましたが、ちょっと心残りがしていて、一巡したあともう一度見に行ってみると、まだ売れ残っていました。
値段を訊いてみようか?
籠の中には、包装用の小さい籠と、サンゴと巻貝が入っていました。
「いくらですか?」
「1500円。きれいに編めているし、傷みもないでしょう?」
と水屋さん。
置き場所に困るのに、見捨てがたい。中身つきでいただくことにしたら、100円引いてくれました。
貝たちは、上左タルダカラ、上右クロダカラ、中左ヒロクチイモでしょうか?
中右は貝にしてはやけに殻が薄いので、もしかしてマイマイではないかと調べてみると、やっぱり! アフリカマイマイの殻でした。どうして貝と一緒になっているのか不思議でしたが、アフリカマイマイの殻だけから、くるくる回すと砂がいつまでも出てきたので、浜に打ち上げられたもののようでした。
右下は凸凹しているからカズラガイじゃないし、左下はてっぺんが尖っているからトリノコガイじゃないし.....。
タルダカラとアフリカマイマイ以外は、よくわかりませんでした。
さて、手に入れた腰籠を、夫の父が遺したスズタケの腰籠(右)と比べてみました。
両方ともござ目編みですが、経ひご(たてひご)が2本と4本の違いがあります。また、縁は巻き編みと矢筈巻き(じゃばら巻き)という違いがあります。
底は左の腰籠は2本と2本のござ目編み、父の腰籠は3本と4本のござ目編みになっています。
父の腰籠は、底は3本なのに、うち1本だけ折り返して、胴として立ち上がるのは4本という、なかなか複雑な技術でつくられています。
腰籠は、幅が薄ければ身体に沿いやすいのですが、薄すぎると立たせにくくなり、左の籠は、空の状態では雑に置いたら立ちません。もっとも、もともと入っていた珊瑚を入れると重さが出て立ちやすいので、収穫籠として使うときは問題ないかもしれません。
小さい腰籠なので、Yさん作の腰籠のように、じつは底が丸くても問題なく使えます。
さて、腰籠として使うならどうやって紐をつけようか? 巻いてあった紐に新たに紐を結びつければいいのか?
やっぱり一度は、腰籠として使ってみたいと思います。
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12 件のコメント:
春さま
お久しぶりです。石川の本田です。いつも楽しく拝見させていただいてます。
さて、今回のかごですが、スズタケではなく、マタタビではないでしょうか。
タテ材は内側を向いていてわからないのですが、ヨコ材はササの様なつるんとした感じではなく、小さな節みたいなものも見えます。
底の材の中央には白っぽいものが残っています。マタタビの髄?ではないのかと思います。
スズタケのかごのですが、底の材の折り返しが面白いですね。折り返された材は反対側まで行って立ち上がっていってますね。津南町のチシマザサのかごで同じようなのを見たことがあります。
また、いろんなかごや箕をご紹介ください。
前にお話しした伊藤常次郎さんの映像ですが、神奈川の放送ライブラリーというところで見ることができるみたいです。https://www.bpcj.or.jp/program/detail/004217/
興味がありましたらお時間の許すときにでもお出かけください。
私、金沢城調査研究所というところで、能登半島地震で崩れた石垣の復旧のお手伝いをしておりますが、今回の地震で崩れたのは、明治以降に積まれた石垣(自分たちが直したところを含む)で、江戸時代のものは、変形はしたけれど、崩れはしませんでした。近代(現代)工法が、江戸時代に負けているのですが、その理屈はまだ解明されていません。
民具が捨てられていく時代ですが、本当に大丈夫なのかなと思ってしまいます。
本田さん
お久しぶりでございます。しばらく前に、常次郎さんのゆかりの方が連絡を取りたいとコメントくださったのをご覧になったでしょうか? 本田さんに連絡を取る方法がわからなくて、つれないお返事しかできなかったのですが。
腰籠は確かにマタタビでした! 教えていただいてありがとうございました。マタタビとは考えてもいなかったので、さっきから茫然としています(笑)。マタタビの米あげ笊とか、ただの笊とかを引っ張り出して腰籠と比べて、しげしげと眺めて、腰籠はマタタビに違いないとわかったのに、まだピンと来なくて、何度も見返しています。縁巻きがもっとよくある巻き方だったら間違えなかったのに、とは、完全な負け惜しみです(笑)。
江戸時代に積んだ石垣が壊れなかったのに、明治以降に積んだ石垣が壊れたというのは、すごいお話だと思いました。江戸時代の職人さんたちは技を自分のものにして体に叩き込んで、そして喜びとプライドを持って仕事をしたけれど、明治以降の職人さんの中には、時間をお金に計算して、見てくれがよくても、心を入れて積まなかった人がいたのでしょうね。いざとなれば見えるところや見えないところでセメントが使えたし。
民具の話ですが、友人に木工、竹細工など絶やさないで次世代に伝えていく仕事をしている人がいます。彼たちの働きで、すんでのところで鵜飼の船造りや鵜を入れる籠作りが継承されましたが、それらをつくるための刃物を作る鍛冶師が絶えようとしていることを危惧、今は鍛冶師の調査、ネットワークづくり、継承などに力を入れています。お暇なときに彼の仕事を覗いてみてください(https://www.facebook.com/masashi.kutsuwa)。
図鑑やネットを参考に、1段目タルダカラ、ニセヤクシマダカラ、2段目シロアンボイナ、アフリカマイマイ、3段目ショクコウラ、マクラガイって感じかな~。タルダカラとショクコウラ以外は自信ありません(苦笑)。
hiyocoさん
じつはhiyocoさんが頼みだったのです(笑)。私の持っている貝辞典よりhiyocoさんです。ありがとう。手元のマクラガイは美しいグレイなのですが、私の辞典ではまっ茶色になっていて、はなから結びつかないです。辞典が悪いのかしら(笑)。
この貝の先の持ち主には、ラインラップ(というほどでもないけれど)から貝なら何でもいいのではなくて好みがあった気がしていたのですが、産地がまちまちだから、自分で拾ったのではなくて集めたものだったのでしょうね。
ショクコウラは口がびろ~んとなってないので、ヒメショクコウラだと思われますが、あとは教えていただいた通りです。
重ね重ね、ありがとう(^^♪
軍隊や明治以降の職人さんが手抜きをしたというわけではないのです。
石垣の構築方法が変わってしまったというのが大きな原因です。
ご存じかもしれませんが、石垣の石は表に見えている大きさの3倍ぐらいの長さがあります。
この後ろに、栗石(こぶし大)を一定の幅で入れて積み上げています。
石垣石と石垣石は面で接しているわけではなく数点で接地しています。(そうでもないのもあります)
これを軍隊は石垣石を小さく長さを短くして、落とし積みという接地面の大きい積み方で積んでいます。
グリ石の幅も狭くなっているようです。
私は土木工学の専門家ではないので理屈はわかりません。
ただ、江戸時代の石垣は現代工法のコンクリート擁壁の様な強度一点張りではないようです。
実際、他のところ、熊本や、仙台等、近代、現代に積み直した石垣(コンクリートで接着したものなど)が崩れた個所が多いようです。
(もちろん江戸期の石垣も崩れてはいますし。江戸期の地震で石垣は崩れています)。
江戸期の発想と近代以降の発想の違いなのかもしれないと感じています。
カゴでいえば自然素材と化学素材の違いに近いのだと思います。
崩れた石垣は健全な状態ではありません。経年変化でゆがみやハラミが生じていた部分です。
一番困ったのが、自分たちが修理した石垣が崩れてしまったことです。
文化財の修理ということで、できるだけ元の通り(工法)に積み直してはいるのですが、
積み直しの際、できるだけ元のところを残そうとしたり、現代土木建築の安全基準とかがあったりして
江戸期の石垣に比べてバランスを欠いたものとなっていたのかもしれません。
木のかごが好きで色々調べています。10年くらい前でしたら、まだ作られる方が、富山や岐阜にいました。
技術を残そうと講座なんかもやられていました(行きたいと思っていたのですが、行けずに終わりました)。
その方たちが亡くなられた後、引き継いでおられる方もおられるようですが、風前の灯火みたいです。
ご存じかもしれませんが、私の近くだと滋賀県の余呉に太々野功さんがまだ頑張っておられ、そのお弟子さんの荒井恵梨子さんが、
何とかつないでいこうとしておられます。https://keifu.shop-pro.jp/
今回のマタタビだと石川県白山市、旧河内村で盛んにマタタビ細工が行われていました。
現在でも何人かが集まって公民館で製作が行われています。個人的に作られる方もおられるようです。
ヒノキ笠は同じ白山市の鶴来町で製作が続けられています。
https://www.tobunken.go.jp/ich/research/mingu/alacarte/higasa/
https://www.instagram.com/mareecraftjapan/
ご紹介いただいたフェイスブック、SNSやらないので見れませんでした。森林アカデミーの方ですね。
今、前に拝見させていたてごについて少し調べているのですが、縁の仕上げ方が写真を見ていてもわかりません。
木かごや、タケはそんなに複雑でもなく、タケは本も出ているのですが、ワラやガマやなわが素材のものは、バリエーション多く、
わからないところが多いです。縁のしまい方はわかりません。
解説書や、詳しい方をご存じでしたら教えてください。
長文になって申し訳ありません
本田
本田さん
石積みのこと、手抜きと言って失礼しました(笑)。
でも、明治になって、熟練の職人さんでなくても積める、工期も早くなった積み方に変わったとしたら、手抜きとは違うけれど、効率を求めて昔の工法は捨てられたということですね?
我が家ではいろいろなところで石をもらって来て、庭に積んだり敷いたりしていますが、なにせ小さく見えても石は重くてたいへんでした。そして積み方を知りもせず、やみくもに積みました。低いものだけれど(笑)。
建築にしろ石垣にしろ剛構造ではなくて柔構造が揺れに強い、そしてそのことを昔の人が知っていたということは、とても興味深いことです。
私は竹の豊富な山陽で育ったこともあり、木を薄く削って編んだ籠の存在は長く知りませんでした。また、イタヤカエデなどの広葉樹だけでなく針葉樹でも籠が作れることも知りませんでした。
以前私がUPした腰籠(https://koharu2009.blogspot.com/2024/04/blog-post_28.html)は、もしかしてイタヤカエデではなかったかもしれません。
本田さん、春さん、こんばんわ。
面白そうな話題でしたので横から失礼します。
・コダシ(テゴ)について
籠よりも伝承消滅のスピードが速く、ほとんど見かけなくなりました。
しかし、北東北ではわずかに残っている地域があります。ネットでは情報が無いのですが秋田県や青森県のごく一部でごく小規模に作られています。岩手県でも作っている人がいるという情報があり調べてます。
秋田のものはアオツヅラフジと呼ばれる撥水性がある素材が使われ山菜採りから海藻採りまで使われていました。
コダシ型ではなく籠型やバッグであれば、秋田県ではアケビで有名な横手市の中川原氏、由利本荘市の村上氏、岩手県では八幡平市にヤマブドウやクルミで作るグループ、福島県では奥会津では材料の幅が広く、ヤマブドウ、マタタビ、ヒロロ、モワダ、アカソで作られています。
私は、昔の素朴なコダシに惹かれるものがあり、秋田でアオツヅラフジで作ってもらうか教えてもらおうと考えていました。
石川県白山市のコツラ細工などは今はどのような状況でしょう。かつては鉈籠など味わい深いものがありました。
・城郭の石垣について
あれほど直高が高く、勾配が急で、空積みであるにも関わらず、400年間耐えているのには驚きで、現代の擁壁設計とは違うセオリーで設計されていたことを思わせます。
発掘調査現場を見ても、控えが長いことと裏込めの栗石は想像通りですがそれ以外に特別な仕掛けは見られません。
それで、現代の積み直しではロックボルトと受圧板や薬液注入で背面の土圧を抑えることを選択することが多いようですが昔はそんなことをしていません。
おそらくですが、地山の切り方、排水、裏込めの粒度と厚さ、背面も粘土に近いものを使うなどの工夫をしていて、それが元々の弱部や長年の間に細粒分が抜け、明治以降に天端の排水遮水構造が失われたことも劣化を加速させる遠因のようにも感じました。
あと、地盤が良くない場所に建てられているにも関わらず、地盤の不同沈下を起こしていないところも見事です。被災している石垣も、はらみだしはしていても、基礎の沈下は見られません。現代なら、杭基礎とか地盤改良とかするレベルの構造物であるにも関わらず地盤にうまく重量を受け持たせています。
ほか、設計にも施工にも手間がかかる武者返しと呼ばれる勾配の変化も石垣の安定上の機能も大きく、効果がありながらも現代では顧みられることがない構造です。
石垣という目に見える部分に目が行きますが、昔の石工はトータルに考えていたのだろうと感じ尊敬の念を抱かざるを得ませんが、やはりそこは人、地域や年代によって巧拙のようなものも感じます。
穴太衆のように技術を伝承している人もいますが、現代の土木建築では空積みは制度上、認められにくく、性質上基準も作りにくいもので、担い手も減少する一方です。日本古来の技術がもっと正しく伝承され使われれば良いなと思います。
・笠についてお聞きしたいこと
福井県の鯖江市に、今でも網代笠を作っている方がいると聞きました。本田さん、春さん、ご存知でしたらお教えください。
山の庭仕事で帽子は手放せません、近年の強烈な日射では笠のほうが使いやすいのですが丁寧な作りのものが少なくなりました。
かきつばた
かきつばたさん
本田さんのおっしゃっているテゴとは、この記事(https://koharu2009.blogspot.com/2021/07/blog-post_23.html)のことで、かきつばたさんのおっしゃるとおり、アオツヅラフジで編んだ秋田のものです。もし手に入れたいなら、まだ加賀美術店(https://item.rakuten.co.jp/krasivo/c/0000000169/)にありますよ。しかも、とても素敵なものです。
かきつばたさんは、石垣に詳しいのですね。私は(昔の)石垣を見るのは大好きですが、知識はまったくありません。そして、どちらかと言えば切り石より丸石の石垣の方が好き、大きな川の近くで丸い石の石垣がそこらじゅうに見えたりしたら、電車の窓の外に目が釘付けになってしまいます。美濃の長良川のほとりの石垣もよかったです(https://koharu2009.blogspot.com/2023/08/blog-post_25.html)。
笠は、本田さんが教えてくれたヒノキ笠はどうですか? 時代劇がつくられる限り笠もつくられると思いますが、ドラマ「べらぼう」や「スローな武士にしてくれ」の笠はかっこよかった。劇中では粗末にして投げたりしていましたが。
ちなみに、私は庭仕事の時はアフリカの草で編んだ帽子をかぶっています。
春さん、情報ありがとうございます。
アオツヅラフジの入れ物は売っているのですね。売っているものは、小さめなので生け花用に作られたものでしょうか。籠と違って、需要が限られるようで、作っている人もほんの少しになってしまったようです。
笠は、樹皮やスゲを使ったものは多く見かけるのですが、鯖江の笠は竹の笠にさらに紙を貼り漆を塗った丈夫なものです。
時代劇で見る蓑と笠を纏った侍は格好良いですね。時代劇の制作本数が減って蓑や笠、竹笊に至るまで小道具需要が無くなったと聞き、時代劇が伝統工芸を支えていたとは驚いたものです。
庭仕事は、オーストラリアで買った麻の繊維で作った涼しい帽子を使っています。普段の外出などにも被っていけるのですが、もう、去年のような酷暑には対応できません。
笠なら通気性が高く、つばがもっと広いので日射にも耐えられるのではないかと思いました。でも、買い物にはちょっと。。。
かきつばた
かきつばたさん
加賀美術店のサイトを見ましたか?ふごは直径44㎝、テゴは幅が36㎝あって、生け花用につくられていたものではなく、実際に使われていたものです。むしろ大きすぎるほどです。
時代劇は西陣も支えています。刀を抜いての立ち回りばかりは見ていられないのですが、NHKオンディマンドで観る源孝志さんの時代劇は最高です。「忠臣蔵狂詩曲 中村仲蔵出世階段」もいいですよ。
春さま かきつばたさま
テゴ、こだし、はけご、いろんな名前があってややこしいところです。
春さんのイタヤカエデのカゴはどこのものでしょう?つくりは山形東側のもの(東北から新潟北部の木かごは斜めアジロと縦横あじろがあって縦横は山形東側から新潟北部東側にあることを知り合いに教えてもらいました)によく似ていますが、縁にマタタビが巻いてあります。アオツヅラの方は春さんのも加賀美術さんのものも底は折りたたんでいるように見えますが、私の知っているものとは異なります。機種の違いなのか、秋田でも違う場所のものなのか。新潟の村上や柏崎あたりにもアオツヅラあるようです。
かきつばたさん、石垣詳しいですね。おっしゃるとおりです。石垣の修築は埋蔵文化財(文化庁)ではなく土木部(国土交通省)所管なのでどうしても土木工学的な安全基準が必要みたいです。原発の安全神話と同じで、伝統技術とは発想が違うように思います。伝統的な石積みは、全国城跡等石垣整備調査研究会というのがあって、全国の文化財石垣整備担当者、技能者、研究者、技術者などが一堂に会し、文化財石垣修復の様々な事例や課題について議論や情報交換を行なうとともに、次世代を担う技能者、研究者の育成を目的として開催されています。この1月末に名古屋城で開催されました。春さま、落とし積みは幕末から始まっており近代工法とは違っていました。すみません間違いでした。長良川の丸石の石積みもこの工法で作られています。田んぼや畑、家などの石垣も趣があってよいのですが、こちらの技術も消えようとしているようです。
鯖江の笠は知りませんでした。白山市旧河内村のマタタビ細工は今でも有志が集まって作られています。ナタかごは、マタタビのものは見たことがありません。サルナシを使っています。
また長くなってしまいました。
本田
本田さん
あいにく、骨董市で手に入れたので、イタヤカエデの腰籠の産地はわかりません。考えてもいませんでしたが、縦横網代となると、産地も限られるのでしょうね。
テゴの底は、おっしゃる通り折りたたんであります。アオツヅラフジ、スゲ、稲わらの3つ持っていますがどれも経縄と経縄の間3つ分、つまり角に経縄が来て、底に経縄が2本見えるように畳んであって、底は完全な二重になっています。
まちの部分の始末についてはアオツヅラのテゴは両側から重ねた部分にまちの端を挟んで、外側からも内側からも見えないように作られていますが、スゲと稲わらのテゴは、両側を重ねた後でまちを折り込んでいるので、内側からはまちの端が見える作りになっています。
ほかの作り方もあるのでしょうか?
かきつばたさん
加賀美術店のテゴは、「ハマカズラ」製と書かれているのが「アオツヅラフジ」の間違いなのです。そのことをお伝えしてなかったことに気づきました。
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